さて、いつも通りミックスを進めているときのこと。
作業も佳境に差し掛かり、トータルのEQ調整を行い——
『おっ、今日もいい質感に仕上がった。これでOKでしょう!』
そう思い、ふと画面を見ると、EQはバイパスのまま……。
このような経験、誰しも一度はあるのではないでしょうか。
1 この瞬間に何が起きていたのか?
これが、いわゆる「プラセボ」という現象です。
この瞬間、音は一切変わっていません。
変わっていたのは“自分の感覚”でした。
EQを触ったという事実によって、
良い質感に仕上がったという満足感を得ていたのです。
脳は過去の記憶や予測をもとに音を解釈します。
その結果、実際には変化していない音が「変わった」と錯覚することがあります。
2 プラセボは悪い?
では、このプラセボは悪いことなのでしょうか。
私は必ずしもそうではないと考えています。
確かに、思い込みによって判断を誤る危険性はあります。
しかし、そのミスを自身の成長の材料にできるからです。
例えば、今回のようなケースであれば、
- A/Bチェックを徹底する
- レベルマッチを行う
といった対策で防ぐことができます。
ミックスでは、最終的に「何を良しとするか」という判断が結果を左右します。
以前書いた『ミックスを始める前に、必ず考えている3つのこと(前編)』でも触れましたが、音そのものだけでなく、
自分の思考や判断基準を整えておくことがとても重要だと感じています。
そしてこの出来事から、
- いつもの機材という思い込みに音を重ねているかもしれない
- 「触った」という事実に安心してしまうタイプかもしれない
- 作業が進んでいる感覚を求めているのかもしれない
と、自分の判断の癖を知ることができます。
音そのものではなく、見た目や思い込みに耳が揺らぐ——
人の聴覚は、それほど繊細で不安定なものです。
3 不完全な耳と付き合うということ
そもそも聴覚は感覚です。
目に見える尺度や「完璧」という状態は存在しません。
先ほど、スタジオの向かいで花火が上がっていました。
距離は500メートルほどでしょうか。
音は明らかに遅れて聞こえてきました。
音は距離や環境によって変化する、不安定な要素です。
それを捉える耳もまた、
- 体調
- 気分
- 心の状態
によって聞こえ方が変わります。
最近、自分の耳の「信用できる部分」と「揺らぎやすい部分」が、少しずつ見えてきました。
私は睡眠不足に弱いようです。
だからこそ体調管理を意識すること。
そして気持ちが高揚している状態でのミックスは、
一日置いてから必ず翌日に確認すること。
音楽制作では、ノリや感覚も大切にしています。
一方で、距離を置き、できる限り先入観の少ない状態で確認することも意識しています。
主観と客観。
その両極を行き来することこそ、ミックスの面白さなのかもしれません。
4 自然体で音と向き合う
音は物理現象として存在しています。
ただそこにある、自然な現象です。
しかし「良い」「悪い」と判断するのは、常に人間の解釈です。
だからこそ、様々な解釈があって当然です。
否定されることを恐れる必要もありません。
耳は不完全です。
思い込みや体調によっても揺らぎます。
だからこそ、
一度距離を置き、できる限り先入観の少ない状態で確認する。
そして、自分の感覚を信じて音と向き合う。
それが、私にとって最も自然で意味のあるミックスの在り方だと感じています。
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